
ぼくは多汗症だったんだと思う。
子供のとき、周りと比べてやたらと汗をかいていた。
例えば体育の時間、100メートルほど走っただけで、その後の体育の時間はずっと汗だくだった。

ただの汗っかきだと思っていた。
その時は何とも思っていなかった。
ただ人より汗っかきというだけで、誰にも迷惑をかけていない。
それだけだと。
しかし、中学に入り思春期にさしかかると、身だしなみにも多少気を付けるようになり、汗臭さを防ぐために制汗剤を使ったりもしていた。
しかし14歳の夏、自分が汗かきという弱点以上に、忌まわしい弱点があったことに気がつく出来事があった。
その日は連日の猛暑日の午後のことだった。
教室での授業中、先生がぼくの前でこう言った「このあたり、何か臭くないか?」
そう言われてみれば少し臭い。
ぼくはすぐに、前の授業の体育でたっぷり汗をかいた自分の汗臭を疑った。
ワキの匂いが・・・!!
おなじみの汗臭とは違う、強烈な酸っぱさが鼻につく。自分では気付いていなかったが、ぼくのワキガはすでに目覚めていたのだ。
先生はごく自然に思ったことを言っただけで、悪気があったわけでもなく、ぼくが原因だと気付いてもいなかったのだろう。
周りの生徒も「本当だ」と言い始める。
今思えば、クラスメートはぼくが「臭い」ことを以前から知っていたのかもしれない。ただ公にしなかっただけで。
先生公認の発言がきっかけでぼくの臭さが市民権を得たような格好だ。
以来、ぼくはクサオと呼ばれるようになった(泣)。
ぼくの場合、体全体に汗をかくので、それまでとりわけワキだけに注視していたわけではなかったのだが、ワキが異様に酸っぱい。
それまで気にしていなかったが、クサオと呼ばれるようになってからは気にせざるを得ない。
ワキガを気にして女子には近づくこともできなくなった。
思春期にこの仕打ちはツラい。
なんでぼくだけ?
ぼくは親を恨み、先生を恨み、すべてが嫌になった。
ワキガを発症した中2の夏、自分の将来に、人生に絶望した夏。
ある時、2歳年下の妹がクサコと呼ばれているのを知ったとき、行き場所のない怒りで発狂しそうになった夏。
1990年代はイジメや非行が今よりも放置されていた・・・そんな時代。
もし若いころに戻れるとしても、もうあの夏には戻りたくない。
幸いにも妹はワキガ持ちではないが、酷いあだ名を付けられてイジメの対象になった原因がぼくなのは言うまでもない。
兄として妹に悲しい思いをさせた申し訳なさが、数十年経った今でも思い出す。
ぼくにとっての思春期の甘酸っぱい思い出は、ワキガ臭のする酸っぱい思い出である。

高校は地元から離れた場所にある私立高校を選んだ。
ぼくのワキガ人生をリセットするためだ。
ありったけの制汗剤をスプレーし、通学した。
この頃のおこづかいやアルバイト代の大半は自分のワキガ関連に費やした。
親の援助もあったが、貧しい家庭だったためそれほど迷惑はかけられない。
当時CMなどで頻繁に放送されていた花王のエイトフォー8×4に依存していたのが、高校生活は何とかバレずに過ごせていたと思う。
しかしインターネットも普及していない時代、ワキガに関する情報も少なく一人で悩んでいた。
もしこの頃に、【デトランスα】があればぼくの人生変わっていたかもしれない。
先ほど昔には戻りたくないと書いたばかりだが、訂正する。
昔に戻れるなら、若かりし自分に「最強制汗剤を届けたい」と。